海沿いの小さな旅館。
部屋の真ん中に並べられた10枚の布団。
その一番端っこで、大きな声を上げながら寝転ぶ姿はまるで駄々をこねている幼稚園児ようだった。

「あっ、待って!待って!ゆっくりな!!絶対!!そーっとやで!!」
「わかってますって」
「あああっ、まだやで!心の準備できてへん!!」
「じゃあ、3・2・1でいきますよ」
「お、おん。はーあ、…よし」
「はい、いいですか?いきますよ?」
「おう、男見せたる」
「3秒前でーす、さーん、にーい、」
「ああっ!待って!あかんわ!集中力切れてもうた!仕切り直しや!」
「っていうか、私の手の方が冷えちゃいましたよ、ほら」
「ひゃあっ!!!な、なにすんねん!?」
「なにって、手冷たくて」
「アホ!!そんなひゃっこい手で触られたら心臓止まるわ!!!」
「そうですね、ちょっとうるさすぎるので一旦、心臓止めてもらってもいいですか?」
「おまっ、先輩に向かって何ちゅーこと…もっと労わる気持ちとかないんか!!」
「あとで辛い思いするのは謙也先輩なんですよ」
「……」
「ちゃんと冷やさなきゃ」
「…わかった、3秒数えて、そーっとな」
「さんにいち、はい」
「ああああああーっっ!!!」
「謙也!!自分さっきから煩過ぎんねん!!小春の可愛え声が全然聞こえへんやろ!!!」

ユウジ先輩がキレるのも仕方ない。
冷やしタオルを背中に乗せるくらいのことでアホみたいにぎゃーぎゃー騒いで。
謙也先輩には男らしさとか度胸とか我慢強さとか色々足りなすぎると思うんだ。
だいたい、こんなに背中真っ赤になるまで日焼けを気にせず一日中遊び倒したのは自分のくせに。

「はい、もう1枚乗せますよ」
「あかんって〜、もうほんまに無理やねんて〜」
「ちゃんと優しくしますから」
「…ほんまに?」
「ほんまに」
「ん、がんばる」
「えらいえらい。じゃあいきますよ、さーん、にーい、いーち、」

ぎゃあああぁぁーーという謙也先輩の叫び声が先だったか、ばっちーーーーーんという皮膚が弾けるような音が先だったか。
「痛った…」と、眉間に皺を寄せて呟く彼はその凶器もとい真っ赤な手のひらを見つめ、犯行現場から一歩も動こうとしていなかった。

「あかん…せなかしんだ…あかん…あかん…」

その背中には真っ赤な手形がじわじわと浮かび上がってくる。
まさに動かぬ証拠。

「ちょっと!光!何してんの!!」
「ん、俺の手も冷たいから、謙也さん黙らすの手伝ったろーって」
「いやいや、やり方っていうものがあるでしょ!」
「なんやねん、お前だってさっき同じことしてたやん」
「わたしはそんな強く叩いてません!…あー。もう、かわいそうに」

少し温くなってしまったタオルをその手形の上にそーっと乗せてみるけれど、びくんっと体を震わせるだけでまたすぐに動かなくなってしまった。本当にかわいそう。

「謙也先輩。脚の方はあまり日焼けしてないみたいなんですけど一応、クリーム塗っておきます?」

枕に顔をうずめたまま静かに頷くのを確認してから、鞄を置いてある所までクリームを取りに行く。
あれ、意外と残り少ない。背中の分もあるかなぁ。

「だあああああーー!!!痛い痛い痛い痛い!!!!」

振り返ると、光が謙也先輩の背中をタオルの上からげしげしと踏んづけていた。

「もう!光ってば!!いい加減に、」
「ええなぁ!さっきからめっちゃ楽しそうやーん!ワイも混ぜてほしいわぁー!!」
「おー、一緒に乗ってええで」
「あああああっ!!痛い!!背中死ぬ!!死んでまう!!!」
「せやから、煩い言うてるやろがぁぁぁ!!今、小春と愛について語り合ってんねん!!これ以上邪魔するんやったら自分ら全員いてこますぞ!!!」

足跡が聞こえたのと同時に、がらがらっと部屋の扉が開かれる。
とうとう苦情がきたか、と息を飲むとそこには…

「バ、バケモンが来たでぇ〜〜〜!!!」
「誰が化け物やねん」
「…も、もしかして、白石なん!?どないしたんその顔!!」
「顔パックやで。日焼け後のケアはこれが一番効果的やねん。あ、今な、フロント行って聞いてきたんやけど明日の朝食の時間、7時半からやって」
「え、もしかしてその顔で行ったんですか」
「ん、そうやけど?それより、あんな騒いでたら周りのお客さんに迷惑やろ。ユウジの声、廊下の端っこまで聞こえてたで」
「俺のせいちゃうし、むしろ迷惑かけられた側やし!!」
「その元凶は誰や、金ちゃんか!?」
「ワ、ワイのせいでもないで!!一番煩かったんは謙也や!!」
「な、何言うてるん!?俺こそただの被害者やし!!元はといえば全部、財前が!!」
「え、財前?」
「…俺のせいちゃいます。謙也さんが情けないだけっすわ」
「おまっ、こんな弱ってる先輩に対して何ちゅーこと、」
「はぁ…、しょーもな」
「…財前、どこ行くん」
「散歩っすわ」
「こんな時間に一人で出歩いたらあかん、危ないで」
「別に女子じゃないんやから平気っすわ。それにすぐ戻ってきます」

振り返りもせずにそう答えるとスマホだけ持って出て行ってしまった。
ああ、これは追いかけなきゃダメなやつかなぁ。

「…なんやねんあいつ。謙也に海へ投げ飛ばされたことまだ怒ってるんか。いくら何でも根に持ちすぎやろ」
「ユウくんは鈍感さんやねぇ〜。光きゅんが怒ってはるのは、そういうことやないんよ」
「え!?そうなん!?俺もそれが原因やと思っててんけど!!え、じゃあなんで俺こんな痛い目に遭わされてるん!?」
「白石部長、わたしも散歩行ってきてもいいですか」
「ああ、せやな。頼むわ。…遅くなったらあかんで」
「えええ!、俺の背中は!?」
「ワイがやったるで〜!踏めばええんやろ?」
「んぎゃぁーー!!!」

旅館を出て少し歩いた所の小さなベンチに彼はいた。
私が来ていることに気付いてる癖にポケットに手を入れたまま空を見上げている。

「随分と短い散歩だね」

そんなちっぽけな嫌味に対しても返事をしてもらえなかったのでわたしも黙って隣に座った。
仕方なく、同じように空を見上げてみる。
どこまでも広がる満天の星空と真っ暗な海。
あまりにも綺麗で、壮大で、幻想的で、それは恐怖さえ感じる程。
飲み込まれてしまいそうな感覚にぶるっと体が震えた。

「寒いんなら帰れや」
「寒いんじゃなくて、怖いの」
「は?」
「あっ!!流れ星!!」
「…見えへんかったけど、見間違いちゃう?」
「見間違いじゃないし。ひゅんってすごい速さで流れていったもん」
「…あっそ」
「…謙也さん、スピードスターって言ってるけど、星より太陽っぽいよね」
「…ゴミの話すんなや」

あまりの声の低さに驚いて横を見る。

「ゴミって…」
「別に謙也さんのことゴミとは言ってへん。あんな、流れ星ってありえへん速さで塵が燃えてるだけなんやで。そもそもスピードスターって流れ星やなくて高速運転者、スピード違反者っていう意味やから。そんなロマンチックな話ちゃうねんで」
「ふーん」
「…なに笑ってるん」
「ううん」
「…あー、ほんま腹立つ」

そう言って、後ろ髪を乱暴に掻きむしる姿が見られるのはお風呂上りならではだなぁ、なんて呑気なことを考えながら見つめているとお得意の舌打ちが聞こえて、その顔が少しずつ近づいてきた。

「…だめ」
「なんでやねん、させろや」
「外だよ」
「キスだけやで」
「だからだめだって」
「謙也さんならええんか」

ビンゴ。やっぱりね。

「なんで、ここで謙也先輩が出てくるの」

なんて知らない振りしてみるけど、光はどこまでわかってるんだろう。

「お前、無防備すぎやろ。謙也さんなんかめっちゃ惚れっぽいんやから。女子に素手で背中触られたりなんかしたらきっとすぐに好きになってまうで」
「それは流石にちょろすぎでしょ」
「男なんでそんなもんやで。クリームで体塗られてみ、絶対変な気起こすであの人」
「馬鹿じゃないの」
「それに俺、言うたよな。海では水着の上にパーカー羽織っとけって」
「砂浜にいた時はずっと羽織ってたけど」
「海に入る時脱いでたら意味ないやろ」
「そりゃ海に入る時は脱ぐよ、あれ防水じゃないもん」
「だいたいなんでお前まで同室やねん。俺らと一緒に雑魚寝とかありえへんやろ」
「部屋が空いてなかったんだから仕方ないでしょ。むしろ、急に泊まることになったのにあんな広い部屋空いてたなんてすごくラッキーだよ」
「しかも浴衣で寝るとか、こんなんすぐはだけるやん」
「だから、泊まる予定なかったんだからパジャマなんか持ってきてる訳…」
「パジャマだってあかんに決まってるやろ、アホちゃう」
「アホは光でしょ」
「は?」
「ヤキモチ妬いたなら妬いたって言えばいいじゃん」
「…わかってるんなら、ちゃんとせぇや」
「直接言われてないのでわかりません」
「……」
「不機嫌さでアピールするなんて子どもと一緒だよ」
「お前、小さい子好きって言うてたやん」
「なに、子ども扱いされたいってこと?」
「ちゃう、彼氏扱いされたいってこと」

やっと視線がぶつかる。素直な光は可愛くてずるい。

「俺、お前の彼氏やろ」
「うん」
「お前も、俺の彼女やろ」
「うん」
「もっと自覚してや」

自覚なんて、自惚れてしまうくらいしているというのに。
嫉妬心を剥き出しにしてくれる光が愛しい。
そんな表情を引き出せるのは彼女である私だけの特権なんだ。
それでも、まだまだ足りない。
あたしの言葉や態度や仕草や、例えばこの人差し指一つであなたの全てを操れたらいいのになぁ。

「俺が口下手なのわかってるやろ。せやから、何も言わんでもわかって。…みっともないくらい、結構必死やねん」

私の指が彼の冷たい唇に触れた瞬間、ぎゅっと手首を掴まれる。
わたしの体が引き寄せられたのか、彼の顔が近付いてきたのか。
ゆっくりと重なる生温さを残すことなく食べ尽くしてしまいたい。

「あんまり他の男に近付いたりせんといて」

もっとわたしのことでその頭全部を埋め尽くしたい。
たとえあなたの情けなさや不安と引き替えにしてでも。
貪欲で、節操がなくて、こんなにも大好きなんだから。
わたしの方がずっとずっと、みっともない。

(あなたを欲しがる、幸せ者)

 

−Fin−

 

(2016/10/30)