東京の街の郊外にある一軒家の前で、私は手を震わせながら汗をたらしていた。
震えているのは寒いからではない、は夏真っ盛りの八月。汗をかいているのは暑いからでは――たしかに今年の夏は異常な暑さだけど――ない、これはむしろ冷や汗。
さっきから後ろを通り過ぎていく通行人の視線が痛い。
かれこれ三十分ぐらい他人の家の呼び鈴の前で手を震わせながら汗をかいているから仕方がない。
でもみんなはわかるよね?初めて行く好きな人の家の呼び鈴をならすのがどれだけ緊張して怖いか…。
誰に言ってるんだろうとため息をつき、私は覚悟を決めて呼び鈴のボタンを押すことにした。

「よお、さっきからそこでなにしてんだ?」

あと1cmで呼び鈴を押すというところで急に声をかけられたので思わず悲鳴をあげて飛び上がった。

「ゆ、裕太くん!いつから見てたの!?」

夏の日差しとは関係のない体の火照りを感じた。

「10分くらい前からかな。んで、うちになんか用でもあるのか?」
「うん、ちょっと…ね…」

顔が熱くなるのを感じて私は俯いた。
俯いたままちらっと裕太くんの方を見ると、裕太くんはいたずらな笑みを浮かべていた。

「なんだ?俺に会いにきてくれたのかあ?」
「ち、違うよ!」
「即答することねえだろ。わかってるよ、兄貴が目当てだろ?」

やっぱりねと言いたげな微笑を浮かべて裕太くんは答えた。
この裕太くんは、私の好きな人、不二周助くんの弟だ。
天才と呼ばれる兄と比べられるのが嫌だからと兄の周助くんとは別の中学校に通い、普段はその学校の寮で泊まっているらしい。

「ところで裕太くんはなんで家にいるの?」

自分を落ち着かせる為に話題を変える。
まだ顔と体が熱い。

「ああ、夏休みだし大会も終わったから部活がなくてさ、暇だから三日ぐらい前から帰ってきてんだよ」
「へえ、そうなんだ」

ダメだ…まだ頭が回らない…私まだ軽くパニックになってる…。
何を話そうか考えていると裕太くんが鼻で笑ったので気になってそちらに目を向けた。

「兄貴ならいないぜ。残念だったな」

またいたずらな笑みを浮かべている…この弟くん、ちょっと仲はいいんだけどなんか腹立つ…。
それよりも周助くんがいないということのショックの方が大きかった。

「…え?な、なんで…?」
「そんなこと知るかよ。なんか一時間前ぐらい前に急にどっかいっちまったんだよ」

なんだって…今日は周助くんに「記念の日だから」って誘われて…精一杯のおしゃれをしてきたのに…。それなのに私のことを忘れてどこかに行っちゃうなんて…。
急に泣きたい衝動に駆られるも、裕太くんの前だったので目にいっぱい涙をためながら必死に泣いてしまうのをこらえた。

「よお、

裕太くんに呼び掛けられたので、汗を拭くふりをしながら眼にたまった涙を拭って裕太くんの方を向く。

「そんなとこで突っ立っててもしょうがないし、こんな暑い中で待ってるよりもあがってったらどうだ?冷たい麦茶ぐらいならだせるぜ?」

裕太くんは少し困った顔をして不器用ながら私に気を使ってくれた。

「今日はいいよ…。もう帰ることにするから…」

裕太くんが何かを言っていたけどそれを無視して振り返り、俯きながら家に帰るために歩き始めた直後、正面から心の安らぐ声が飛んできた。

「あれ?、折角急いで帰ってきたのにもう帰っちゃうのかい?」

顔をあげるとそこにはスポーツウェアに身を包み煌めく聖水の如き汗を滴らせ、乱れた聖なる息吹で大気を浄化している天使が――じゃなくて周助くんがそこに立っていた!
周助くんの姿を見ると、自分でもよくわからない感情が湧きあがって頭の中がぐちゃぐちゃになり、今まで堪えていた涙が溢れだす。
急に泣き出す私に周助くんは困惑した表情を浮かべていた。

、どうしたんだい?急に泣き出したりしちゃって」

周助くんはなだめるように頭を撫でてくれたが私の涙は止まらず、むしろより多くあふれ出した。

「あーあ、兄貴が女を泣かした」
「裕太、後で、覚えていてね」

茶化す裕太くんに周助くんの得意のカウンターが炸裂!一太刀で黙らせて、裕太くんは不服そうな顔をして家の中に戻っていった。
そこで周助くんは再び私に向き直り、優しくささやいてくれた。

の為に用意したプレゼント、部屋に置いておくと姉さんに何言われるかわからないから部室に隠していたんだ。それを急いで取りに行ってたのだけど、ごめんね、待たせてしまったみたいだね」

聖母のような優しい笑みで私を慰めてくれた。そんな笑顔をされたら許すしかないじゃない!
やっと泣き止んだ私をみて周助くんは微笑んでいる。そして…

「これがそのプレゼントだよ」

周助くんは手に持った紙袋を私に渡してくれた。

「Happy link day!」

私はなぜか再び涙を流してしまった。
でもこの涙はさっきの涙とは全く別のものだとわかった。

中身は確認せず、大事に抱きしめて私は小さく「ありがとう…」と呟いた。
そこで周助くんは再び微笑み、すぐに着替えてくると言い家の中に入っていった。
このプレゼントの中身は今はまだわからないけど、どんなものでも一生大切にすると心に誓う。
途中とても悲しくなったけど、今日はほんとに素敵な一日になりそう。

頬を濡らした涙を拭い、周助くんの部屋を見上げると、隣の部屋の窓から裕太くんがにやにやしてこちらを覗いていた。
………あとで周助くんにチクってやろっかな……。

 

−Fin−